研究報告要約
調査研究
2-117
箕浦 永子
目的
本研究は、近代日本が明治以降に推進した移民政策と植民政策のもと新天地へと移住した日本人の子弟のために設立された学校施設(在外学校)、とりわけ小学校の校舎を対象として調査研究を行い、その建築デザインを権威・適応・芸術の観点から考察することで建築的特徴を明らかにすることを目的とする。
近代日本における尋常小学校をはじめとする校舎については、菅野誠・佐藤譲による『日本の学校建築-発祥から現代まで-』および『日本の学校建築-資料編-』(文教ニュース社、1983年7月)に詳しく、学校建築関係法規や日本全国の学校建築の実例がまとめられている。しかし、所収される実例はすべて国内(内地)のもので、在外学校については網羅されていない。これ以外の研究成果では、中国東北部や上海・天津などの租界で設立された学校建築が明らかにされているが、いずれも標準仕様を超える豪奢な建築であり限定的な把握に留まっている。このように、日本の学校建築史は完全に把握されているとは言えず、これを補完するべく本研究では在外学校に焦点をあてる。
在外学校は、近代日本が移民政策と植民政策を推進するために日本人向けに用意した施設であるとともに、当該地に日本の存在を顕示する施設でもあり、いわば「近代」という時代性が如実に反映した建築物のひとつであると考えられる。これを対象として考察することで、近代日本の学校建築史および建築デザインの解明の一助としたい。
内容
本研究は、近代の中国東北部・台湾・韓国において在留日本人の子弟のために設立された小学校の校舎を対象として、その建築デザインを権威・適応・芸術の観点から考察する。
<権威>近代日本は家父長制や男女不平等など封建的な思想が根強く残っており、また社会的序列を重んじるため権威を象徴的に具現化することもしばしばみられた。それは官公庁や病院などの公共建築に顕著であるが、学校建築にも認められるため、この点を考察する。
<適応>これまでの事前調査で、亜熱帯・熱帯の台湾では木造を多用し現地特有の亭子脚(半屋外空間)を取り入れて間取りを開放的にすること、冬は極寒となる中国東北部では煉瓦造を多用しカン(床下温風暖房)を取り入れて間取りを閉鎖的にするなど、現地の自然環境に適応した建築が建設されていた。このような、現地の自然環境にいかに適応させて建築を構築したのか、という観点で考察する。
<芸術>19世紀末から20世紀初頭の世界的デザイン潮流は、アール・ヌーヴォーやアール・デコをはじめとして様々な造形上の近代運動がおこった。このデザイン潮流は近代日本にも展開し、公共建築から民間の建築まで見られる。とくに移民・植民先の建築の多くは新築となるため、当時のデザイン潮流が適用されることがあり、本研究対象における世界的デザイン潮流の展開状況を考察する。
方法
研究方法は史料調査と現地調査とし、近代の中国東北部・台湾・韓国において在留日本人の子弟のために設立された学校のうち主に小学校を調査対象とした。文献史料により基本情報(所在地・学校の種別・設立背景・設立年など)を整理したうえで、現地調査により建築図面を始めとする史料収集および校舎等の遺構調査を行った。
本助成の採択直後より新型コロナウィルス感染症が流行したため、史料調査や現地調査に赴くことができない状況が続いた。そのため、史料調査は近年デジタルアーカイブによる公開が進んでいる史料所蔵機関のwebを活用した。中国については日本の国立公文書館アジア歴史資料センター、台湾については国史館台湾文献館より史料を収集した。国内出張が可能となってからは、東洋文庫での現物史料の閲覧および収集を行った。現地調査は海外渡航の許可を待つこととなり、助成期間を延長させていただいたうえで、ようやく渡航が可能となった台湾と韓国のみ現地調査を行い、中国の現地調査はやむなく断念した。中国東北部については、本助成採択前に奉天(瀋陽)、新京(長春)、遼陽、鞍山、大石橋、安東(丹東)および大連にて建築遺構を確認し、写真撮影や一部は実測調査を行っていたため、それらを活用することとした。韓国については、史料調査も現地調査時に行った。以上のように、収集した史料と限られた建築遺構の調査をもとに、小学校の校舎の建築デザインについて考察することを目指した。
結論・考察
本研究では、近代日本が移民政策と植民政策を推進した中国東北部・台湾・韓国における在留日本人の子弟のために設立された学校のうち主に小学校を調査対象とした。小学校は、明治19(1886)年4月から昭和16(1941)年3月までは尋常小学校および尋常高等小学校、昭和16(1941)年4月からは国民学校へと名称が変わり、中国東北部・台湾・韓国での小学校もそれに準じる名称が用いられていた。なお、国民学校は昭和22(1947)年3月までの名称となるが、本研究では昭和20年8月までを対象とした。
小学校の基本情報(所在地・学校の種別・設立背景・設立年など)を整理するにあたって、まず中国については、主に外務省外交史料館所蔵の「在外本邦学校関係雑件」および「在外日本人各学校関係雑件」より把握した。東北部以外も含む中国全土に設立された在留日本人の子弟のための小学校に関する史料があり、外務省に届いた史料を基本とするため小学校によって史料の種別や数量が異なる。このうち、建築図面が所蔵される小学校を中心に考察を進めた。台湾と韓国については、帝国地方行政学会編『全国学校名鑑 大正15年版』と同『改訂増補 全国学校年間 昭和4年版』を基本史料として用いた。両書には内地に加えて植民地の情報が網羅されており、朝鮮総督府、台湾総督府、関東庁、樺太庁、南洋庁の諸学校が掲載される。本研究では、在留日本人の子弟のための小学校として尋常小学校および尋常高等小学校のみを対象とし、台湾人のための公学校、朝鮮人のための普通学校は考察対象から除外した。これらの基本情報の整理をもとに、中国東北部・台湾・韓国ともに尋常小学校および尋常高等小学校そしてこれに続く国民学校に対象を絞り、建築デザインの考察を進めた。
まず平面構成を見ると、児童数の少ない小学校は一字型となるが、児童数が増えるにしたがい、L字型、コ字型、ロ字型となる。また、一字型を平行に二列三列と配置して渡り廊下で繋ぐ背骨型や、一字型の中央奥に講堂を設けて両翼を延ばしたE字型、敷地の都合で平面方向に増築することが難しいと二層や三層とするものが見られた。小学校の設立当初から平面構成が完成しているのではなく、児童数の増加に合わせて教室が必要となり、増築していくことで平面構成を変えていくことが一般的に行われていた。平面構成の型としては、内地の小学校で見られる型と概ね同じと考えてよいが、短期間で増築により型が変わっていくのは移民政策と植民政策が推進される当該対象地の独自の特徴といえる。
次に、小学校の校舎に<権威>を象徴的に具現化したのか、立面図をもとに見ていく。中国における小学校では、左右対称形で正面中央を玄関とし、その上部を塔状にして頂部に国旗掲揚台を設けるものが比較的多く見られ、これは権威を示す特徴のひとつと考えられた。しかし台湾の小学校には、立面図を見る限りでは国旗掲揚台を設けるものは見受けられず、台北に現存する建成尋常小学校(現:台北当代芸術館)を調査したところでも、左右対称形で正面中央を玄関とし頂部に塔屋は有するものの国旗掲揚台は無かった。中国東北部・台湾・韓国ともに、主たる都市の大規模小学校は豪奢で威厳のあるデザインの校舎を建設しているが、その他の中小の小学校の校舎にはさほど権威性を具現化していないことが見て取れた。
自然環境への<適応>について考察すると、亜熱帯・熱帯の台湾の小学校は、廊下の幅を広くして教室への日射の到達を遮る工夫や、廊下に外壁を設けず開け放つ通風を考慮した工夫などが見られた。冬は極寒となる中国東北部の小学校は、煉瓦造を多用し開口部が少なく閉鎖的な構成とする工夫が見受けられた。当初想定していたとおり、現地の自然環境に適応させて校舎を建設していた。
建築デザインの<芸術>について、内観がわかる図面は少ないため、外観が分かる立面図で考察していく。在留日本人が多く市街地が発展している都市部の小学校はデザイン性に富む校舎であることが多く、アール・デコを採り入れた校舎も見られた。その設計は、欧米に留学して建築を学んだ建築家によるものであった。このような事例は全体から見れば少なく、多くの小学校はデザイン性に乏しいものであり機能を優先させるものであった。
本研究では、近代日本が移民政策と植民政策を推進した中国東北部・台湾・韓国における在留日本人の子弟のために設立された小学校の校舎を対象として、権威・適応・芸術の観点から建築デザインの考察を行った。紙面の都合で限られた報告となったが、本研究で得られた成果は研究論文にまとめて発表していきたい。最後に、研究題目に「調査研究」と冠し海外現地調査を実施することを前提としていたため、感染症流行という不測の事態によって研究が滞り、この事態を理解いただき研究期間の延長を許可してくださったユニオン造形文化財団に記して謝意を表したい。
英文要約
研究題目
Survey and Research on Architectural Design in Modern Japanese Overseas Schools
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
MINOURA Eiko
Department of Architecture and Urban Design, Faculty of Human-Environment Studies, Kyushu University
Assistant Professor, Dr.Eng.
本文
This study focuses on elementary school buildings established for the children of Japanese residents in Northeastern China, Taiwan, and Korea in the modern era. And this study examined the architectural design of elementary school buildings from the perspectives of “authority,” “adaptation,” and “art” to identify architectural features. The main results are as follows:
1) The plan configuration is generally the same as that seen in elementary schools in Japan, but the change in configuration due to additions was a unique characteristic of the subject site.
2) In both Northeast China, Taiwan, and Korea, it was found that large elementary school buildings in major cities embody authority, while small and medium-sized elementary school buildings do not embody as much authority.
3) As originally envisioned, the school buildings were constructed by adapting them to the local natural environment.
4) While elementary schools in urban areas with a large number of Japanese residents and developed urban areas often have well-designed school buildings, many elementary schools are poorly designed and prioritize functionality.