研究報告要約
在外研修
2-304
浜渦 良明
目的
【1】建築家フェルナンド・タヴォラとポルトガル建築を知り理解すること。
20世紀末以降の日本や台湾等の国において、生活文化または資本の急速な西洋化・グローバル化などの要因によって社会はコモンズを手放し、個人も物も砂粒と化している。存在の多くが実存的にも文化的にも繋留地を喪失した。これは私が現在まで東京で経験してきた問題でもある。
こういった状況は、東京を舞台にした是枝裕和監督の映画『誰も知らない(2004)』や、台北を舞台にした楊德昌(エドワード・ヤン)監督の『牯嶺街少年殺人事件(1991)』で表現され、学問では宮台真司著の『サブカルチャー神話解体(1993)』などで指摘された。このコモンズの喪失と個体の砂粒化という問題は、近年の各国である程度共通してみられる傾向である。
都市を離れた場所での建築計画にも同様の問題がある。災害復興を例に考えると、それぞれの地域に個別にやってきた災害に対して体系化された規定によって決定された防波堤の建設が実施されるという課題や、建築家たちが設計してボランティアで建設された「みんなの家」はそのデザインと必要性を議論するべきという指摘がある。各土地の物質または周辺環境の固有性や、公共的な共通理解(コモンセンス)に部分的には基づいた建物の設計が、建築から完全に切り離されることによって、建築の各個体がもつ実存としての表現を失うという問題と、建築が場所におけるコモンズになるという文化的な存在性を得難いといった問題が同時にある。
そういった問題を考えたとき、ポルトガルの現代建築は国内外の多くの人がその物質的・文化的な両側面についてある程度理解を共有できていて、尚且つ他とは異なる固有性も保った唯一のコモンズとして存在している。2016-2019年にリスボン大学で経験した修士課程最終計画の中でも、この実存的・文化的な建築の存在に関する問題に建築家たちが意識的であることを実践を通して理解できた。
本研修では、その建築のはじまりに大きく貢献したフェルナンド・タヴォラのエッセイや設計などの建築活動について、近代建築の歴史比較分析の視座で理解を深めて報告することを目的とする。
【2】実践的な設計活動
継続して関心のあるテーマであるポルトガル建築について理解を深めると同時に、それに基づいた実践的設計能力を身につけるために、リスボンのサントスに事務所のあるARX PORTUGALにて実務設計に携わる。設計事務所における比較的抽象的な基本設計の段階から、現場の工法や建設の課題に直に立ち会い建築家がそれにどうリアクションするのかを経験する。加えて、同事務所に所属している建築家たちとの議論や交流を通して現代のポルトガル建築の実情を体験し現地の文化を経験的に理解して報告する。
内容
【1】建築家フェルナンド・タヴォラとポルトガル建築の再考
1. 建築家フェルナンド・タヴォラのプロフィールと活動した時代背景の再解釈
2. タヴォラの主要な活動を文献調査と精読を通して解釈する。
2.1. 『ポルトガルの住宅に関する問題』の精読、資料の引用と部分的な翻訳
2.2. 『フェルナンド・タヴォラ 旅行記』の精読、資料の引用と部分的な翻訳
2.3. 『移民 ポルトガルの世界における建築文化』の精読と資料の引用
3. タヴォラ設計の建築の現地調査。 その中から『キンタ・デ・コンセイサオ』を対象として、図面と文献を精読・翻訳し、 フィールドワーク時に撮影した写真と合わせて考察した内容をまとめる。
3.1. Parque Municipal Quinta da Conceição, 1956‐1960 公園全体の設計計画
3.2. Tennis Pavilion, Quinta da Conceição, 1956-1960 テニスコートのパビリオン
【2】ARX PORTUGAL での実務設計業務と建設現場視察した建築。
1. テラソス・デ・モンテ Terraços de Monte:集合住宅、実施設計
2. トマス・リベイロ Tomas Ribeiro:個人住宅、基本設計
3. ロシオ・ド・アベイロ Rossio do Aveiro:公共都市計画、建設中
4. レッドブリッジ・アジューダ Redbridge Ajuda:学校、設計開始から
5. ガンダリーニャ Gandarinha:集合住宅、設計開始から
6. ブリティッシュスクール British School:学校、コンペティション
7. ヴィラモウラワールド Vilamoura World:リゾートレジデンス、コンペティション
1. サオ・ジョアオ・ダ・マタ São João da Mata:旧邸宅の改修とアネックスとしての集合住宅
2. ジャングル・ロフト Jungle Loft:低層の集合住宅
3. ルア・ダ・マダレナ Rua da Madalena:リスボン中心市街部の歴史建造物のファサード改修
4. ジャーディン・ダ・グローリア Jardim da Glória:新築中層の集合住宅と庭園
5. サントス・ドゥモント Santos Dumont :新築中層の集合住宅
6. ヴィラ・マリア・ピア Vila Maria Pia:集合住宅、旧宮殿の改修
7. カーサ・アレイア Casa na Areia:個人住宅
方法
【1-1】文献調査・精読。日本語で紹介されていない文献を対象として、部分的な翻訳を記載。
【1-2】現地の建築都市または生活の背景にある文化的な文脈に関する内容についての見聞録。
【1-3】フィールドワーク。いくつかのフェルナンド・タヴォラ設計の建築への現地視察。
その中からQuinta da Conceição について文献の精読と併せて建築の構造や工法などを報告し、考察する。
【2-1】実務設計業務への従事。コンペティション、初期設計、実施設計といったいくつかの段階の設計に携わった。
【2-2】現地の建設の様子と現状を理解するためのコンスタントな現場視察。
結論・考察
【1】これまでのタヴォラとポルトガル建築への評価・カテゴライズ(批判的地域主義など)を取り払って、本研修を通した当人たちの主張を改めて省みる。そして、目的に対しての結論と考察をまとめる。
1. エッセイを精読すると“当時のポルトガルの状態”について批評的である。しかし、モダニズムに対しては批判的ではなくむしろ参照している。タヴォラやポルトスクールの活動を考える時には、常に当時の時代背景を念頭に置く必要がある。
2. 歴史と伝統を重要視したのか。エッセイや建築を精査すると、それは今回の調査報告の範囲では否定される。歴史と伝統への偏重と固執によって失いそうになった実存・文化的存在を取り戻そうと、当時は“何ものでもなかった場所”に注視した。
3. 建築は何を目指していたのか?
a. 地域特有の“デザイン”を称賛したわけではなかったし、建築家としての活動は地域に閉ざしてはいなかった。むしろデザインとしては独立した柱・壁・スラブを多用するなど、日本の桂離宮や龍安寺、またミースのバルセロナパビリオン、コルビジェなどのモダニズムの影響を受けたという解釈が適当である。建築家としての活動は、大西洋の地政学からポルトガルを見直したり海外視察へ何度も赴いたりと常に外側へ出て学ぶ姿勢があった。
b. 設計計画の対象となる“場所”の「文脈=連続性の中での変化」を詳細に知ろうとあらゆる手段を尽くした。ポルトガル移民の道筋を改めてたどることで、世界の・大西洋の・イベリア半島の地政学と環境を理解したし、国内の民家の調査を通してポルトガル全体の地質や風土を理解した。自らが活動する場所は“存在の繋留地点”であり、学問でそれを確証した。
c. すべての物質・材料を“個の存在”として扱いそれを失わずに周辺環境と良い連帯を築くこと(compound)を目指していた。個体が繋留される場所をよく理解する者が、多様な個体をその場所の連続性の中に繋ぎ留めることで、その場所もそこに繋留された個体たちも実存的・文化的な存在のままいることができる。個性がある存在でいることと、公共的な存在であることは、一体になってはじめて成り立つ。タヴォラが目指したのは、シザが言及した通り「絶え間なく“知ること”と“理解すること”の意欲」をもって「“私と他者(The I and the others)の関係への信仰”」を建築することだった。
【2】ARX PORTUGALにて
1. 設計活動を通して、日本以外の風土の中でどのように材料を扱い、どの程度の耐久年数やメンテナンス頻度を想定して建設するのかといったことを体験して知ることができた。一年を通した湿気と乾燥の緩やかな段階的変化を四季に従って経験する日本と、一年を通してあまり湿気がなく気温の変化は一年の中では比較的に小さい違いしか持たないが、一日の中では寒暖差が激しいポルトガルとでは、マテリアルの選択は異なる。そして、それが影響して建設技術の発展の方向性や文化に違いがうまれている。
2. 人が形態をデザインする能力に常に疑いを持って批評的に設計に取り組む態度は、不安定な個人の趣味趣向から距離を置き、場所自体をより理解して建築をその場所につくるという意思がある。建築の設計と都市景観の連帯が強いため、常に公共性の優先が求められるという状態が、設計者にとっては制約になっている面もある。ARXの設計手法は、その条件から新鮮な建築をつくりだすために適した一つの方法だと考えられる。
英文要約
研究題目
The subject matter of this research is to consider Architectural environment through Portuguese Architectureand Architects.Architect Fernando Távora, who was a mentor of Álvaro Siza, led Portuguese Architecture in the time ofModernism Movement, focusing on local factors.This research aims to reconsider architectural potential of his activity, which is often considered as the criticalregionalism, for cotemporally society and today’s Architecture.
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Yoshiaki Hamauzu, ARX PORTUGAL, Architect
本文
SynopsisAfter the late 20th century in Japan there are crucial problems that either individual person or object isisolated from any and community is lost. It is a question for Architecture.On the other hand, many people either from inside or outside Portugal still can share their idea ofPortuguese contemporary Architecture in terms of both sense of material and cultural, and at the sametime, it exists also as an individual possessing its uniqueness.This practice began as an answer towards the question, and it is the purpose to report consequencethrough the research on Távora and practical work to design in Portugal.Summary is that1. Through the essay Távora was critical of “Portuguese state at the time”. Although, He was not criticalof Modernism but learning it. The historical background of the time has to be taken into account, when weconsider Távora and the Porto School.2. He did not emphasize Historic and Traditional building. By careful reading the essays and hisArchitecture, it is denied within the scope of this research. He rather observed carefully “place with noname”.3. He intended state of “compound” that all the materials is treated as a single entity and, without losingit, built up good relationship between surrounding environment.To be a unique entity or a public presence can be established only when both are united.Távora aimed at Architecture, as Siza mentioned, for the relationship between the I and the others basedon a desire to know and to understand.