研究報告要約
調査研究
5-116
千葉 学
目的
我々は、建築を人が使う場として捉え、人の生活や働き方、社会がどうあるべきかという視点から建築のあり方を探るという活動を継続している。その中で、未来における人々の関係性、住まい方や働き方をより多様で豊かなものにするための重要な要素として「建具」という境界面に着目してきた。 古くから日本人は多種多様な建具を考案し、作り出してきた。木、竹、紙といった材料、大小様々な格子密度、気候や四季による違い、さらには異なる建具同士の重ね合わせなど、その多様性には驚くべき広がりがある。そしてこの多様性こそ、人と暮らす、街と暮らす、自然と暮らすといった生き生きとした生活を実現するための様々な関係性を繊細に調節するものであった。さらにはコミュニティを形成し固有の街並みを作り出すなど、そこには建具単体に閉じない様々な事物とのネットワークがあった。しかし経済成長に伴う効率化や大量生産、社会やライフスタイルの均質化が進む中でかつての建具の多様性は失われ、フラッシュ戸に代表されるような画一化が進みつつある。 コロナ禍において、社会の新しいスタンダードを作る必要性が語られる中、「距離=Distance」が世界中で重要な課題となっている。「人と2m離れる」という物理的距離のみならず、例えば在宅時間の長期化によって変化した家族との心理的距離といった「距離感」も私たちの生活に大きく影響し、変化をもたらしつつある。人と人との繊細な関係性を作り出し、その距離感を調節してきた建具に改めて着目することは、人と人、人と社会がより豊かに関係しあえる新しい社会像を考える契機になると考える。体温や音といった今まで意識されなかった要素も含むような、より解像度の高い距離感がより強く人々に意識され、生活の中に入り込んでくるであろう。 本研究は、国内外の建具事例を現地調査し、建具が人と人、人と街、人と自然の関係性をどう調整しているかを、建具の詳細といったミクロなスケールから地域における建具のあり様といったマクロなスケールまでを横断する方法で分析することを目的とする。建具単体にとどまらず、様々な事物とのネットワークの中で建具を捉えようとしている点にこの研究の独創性があると考えている。分析結果をビジュアライズし、これからの社会における距離感や関係性を考え、設計する際に参照される資料としたい。
内容
<1.世界各地の建具事例の収集及び分析>気候や文化による境界面としての建具のあり方の違いについて、世界各地の建具の事例を幅広く収集、分析する。文化圏(言語圏)、気候帯、スケール(寸法)、機構、能力(何を通し、何を通さないか)の5つの観点や尺度から分類する。分類結果をマトリクスにプロットし、建具同士の共通点や差異を多面的に分析、評価する。<2.中緯度帯に属する地域における、建具が生み出す事物間の多様な関係性の調査分析>上記1 に関する事前調査によると、中緯度偏西風帯に位置し、かつ国土が南北に長いために冷帯や温帯、亜熱帯に属し四季を持つ日本や中国等の建具に特に幅広い多様性が見受けられた。冷帯の断熱性能のある建具や、亜熱帯の通風性のある建具といった、生活と自然の関係性をつくりだす建具がある一方、温帯の建具においても独自の特徴や工夫が垣間見える。具体的には、生活者がより能動的に建具を操作して環境を制御したり、何を通し/通さないのかといった物理的な特徴の多様さが挙げられる。また建具を維持することが地域のコミュニティ形成につながっていたり、屋敷森で建物周囲を囲うことで軽やかな建具にすることを可能にしていたりと、建具単体に閉じない事物間のネットワークが存在するように思われる。そこで、建具がとりもつ他の要素(具体的には人、まち、自然など)との関係性の総体を捉え、事例の観察、分析を試みる。<3.フィールドワーク調査>関係性の総体を把握するためには、建具単体での観察や調査にとどまらない、建具が使用されている地域に関する広範な調査が必要となる。これまでに行ってきた事前調査を踏まえ、国内外計4つの地域でフィールドワーク調査を行う。調査では、その建具が何をどのように通し/通さないか、それを実現している建具の寸法、それによって建具のこちら側と向こう側のどのような関係性が実現されているか、またその地域での暮らし方や働き方の実現にどのように寄与しているかといった、多角的な視点、スケールでの調査を行う。<4.複数のスケールでの分析図の作成>フィールドワークから得た調査結果を分析する方法として、建具境界面近傍で起きている状況を見る微視的な視点から、地域全体と建具の関係を見る俯瞰的な視点まで、スケールを横断した分析を行う。それぞれのスケールでどのような要素をどのように通し/通さないかをつぶさに観察することで、建具の持つ多層的な役割が明らかになると考えている。また、分析はその表現方法の検討と同時並行で進める。表現方法としては、極大から極小までの各スケールで、光、風、水、人といった動的な要素までを含めた建具図の作成等を検討する。
方法
ここでは研究の内容<3.フィールドワーク調査>で訪れた4つの各地域における具体的な調査方法について述べる。1.ニュートラルな光環境を実現するカピス窓(フィリピン、ビガン)フィリピン北西部の都市ビガンには、スペイン統治時代に成立した伝統的住居形式バハイ・ナ・バトの住宅が多く残る。この住宅外部窓にはカピス窓と呼ばれる、木格子に貝殻を嵌込んだ引戸建具が取り付く。街区スケールでのカピス窓の分布プロット、バハイ・ナ・バトの平面構成の記述、貝殻のミクロスケールでの物性調査といった方法により、方角や用途に関わらず設置されたカピス窓によっていかにニュートラルな光環境を実現しているかを明らかにする。2.空間の指向性を司る外開き連窓窓(中国、安徽省)中国安徽省黄山市呈坎村には、徽州民居と呼ばれる伝統住居が多く残る。徽州民居は防犯の観点から外に対して強く閉ざしつつ「天井」と呼ばれる中庭空間を持つ住居の集合体で、「天井」は外開き連窓窓に取り囲まれる。各室が天井を介して近距離で向き合うことになるが、建具の開閉角度によってその向きを繊細に調節し、互いの距離感を作り出すと同時に外部環境をうまく取り込んでいることを、実測や建具開口率の計測、開閉の位置関係の図示といった方法により明らかにする。3.街から住居へのシークエンスを形成する、扉の表裏(モロッコ、フェズ)イスラム圏であるモロッコのフェズ旧市街には、リアドと呼ばれる中庭形式の伝統的住居形式の住宅が多く残る。大通りから狭あいな路地を経てリアドの中庭、そして部屋へと至るシークエンスは明暗大小高低の変化が大きい。その要所で通過する開口部の建具自身もまた表と裏で意匠やスケールが異なり、中庭に面した二重窓を含め、その変化を強調している。街から住居までの連続図面の作成や、建具の表裏の違いの図示といった方法によって、いかに建具の表裏の違いがシークエンスの形成に関与しているかを明らかにする。4.グリッドの差異によって場のグラデーションを作る格子戸(日本、髙山)吉島家住宅と日下部家住宅は岐阜県高山の越中街道沿いに互いに隣接する大規模民家である。三尺グリッドに沿った柱梁組による伝統的日本家屋の造りだが、柱間の建具の格子は一組として同じものがないほど、それぞれ多様なグリッドによって構成されている。ひとつひとつの建具の違いを作図によってつぶさに記述することによって、一見明快な構成の建物の中に場所ごとのグラデーショナルなムラが存在していることを明らかにする。
結論・考察
現地調査を行った各事例に共通し、下記のように建具がそれ単体ではなく別の建具や別の要素と相互に作用することである環境を作り出していることが確認された。1.ニュートラルな光環境を実現するカピス窓(フィリピン、ビガン)方位によらず、光を拡散するカピス窓が同一形状で反復して建物四周に配されることによって、建物全体でニュートラルな光環境を作り出すことが出来る。その結果室内における各用途の配置は方位に拘束されず、建物ごとに平面構成も異なるものとなる。それは表裏のない街並みとして、街路空間の特徴をも作り出している。2.空間の指向性を司る外開き連窓窓(中国、安徽省)小さな中庭の四周を取り囲む連窓窓は、外開きかつ任意の位置で扉を止められる形式をとることによって、外部に開くその方向性を調節できる。それによって、中庭を介して向かい合う2つの空間を一体とすることも、同じ外部環境を取り込みつつも互いに見通せない距離感を持った2室に分けることも可能になる。開口率の低い格子密度もその特性に寄与している。防犯上外に対して閉じざるを得ない小さな住まいの中に、多様な距離感を作り出している。3.街から住居へのシークエンスを形成する、扉の表裏(モロッコ、フェズ)扉の表裏面の作られ方の違いによって、二重扉は中庭側からは巨大な一枚扉として見え、部屋側からは小さな扉として見える。明るく吹き抜けた中庭空間から大きな一枚扉を開けて暗く小さな部屋に入るシークエンス、同様に部屋から小さな内扉を開けて中庭に出るシークエンスは、両者の空間の質の違いを強調する。明暗大小高低のコントラストの強い住居やその集合としての街の作られ方に、建具の作られ方が連関している。4.グリッドの差異によって場のグラデーションを作る格子戸(日本、髙山)各室は四周をほぼ建具で囲われており、その建具の格子の構成は四面でそれぞれ異なる。建具を開けて隣の室に移る度、四面の格子はがらりと変わる。床は常に同寸の畳敷きである。そのような差異と類似の連続が、室ごとのグラデーショナルな違いを生み出している。それは室名が示す用途の違いのように明確でなく、格子の疎密による機能の違いが言えるほど単純なものでもない。むしろ格子の疎密による向こう側への透過性や距離感の違いを都度選び取り、快適な居場所を能動的に選択する自由が作り出されている。以上の4事例で実現されている環境は、建具の開閉や別の要素の調節によって都度微細にチューニングされる「ムラ」を持った環境と言えるだろう。内外を明確に分け隔てるフラッシュ戸や高性能サッシでは実現しない「環境のムラ」は、人々の能動的で多様な居方やつながり方を許容する。コロナ禍以降、人々がより多様な距離感を求める現代における住まいや働く空間を考えるとき、建具が実現する「環境のムラ」はより一層重要となると考える。
英文要約
研究題目
Ecological Study of Tategu:fittings that reconstructs the relationships between entities
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Manabu ChibaProfessorGraduate School of Engineering, University of Tokyo
本文
Over centuries, Japan has meticulously developed various fittings with care to the seasons andclimate, which also allowed people to live in harmony with nature and build rich relationshipsbetween individuals and the society. With the pandemic having swept across the globe, it hascertainly shed light on the relevance of the relationships between persons in our daily lives. Inthis research, we have researched and done field surveys on four fittings in and out of Japan,and how they foster a relationship not only between persons, but between a person and thesurrounding environment, the city, etc.This research is unique in that it highlights the fittings not just as a simple boundary frame,but rather one of many elements inside a vast network of entities.For each case, field surveys were carried out with several perspectives such as the permeabilityof environmental elements such as light, heat, moisture, the dimensions of the constituent partsof the fittings that allow for such relationships on both sides,how the fittings correlate withthe local culture and lifestyle.The four cases included in this research are:1.Windows using Capiz shells that neutralizes lightin Vigan, Philippines,2.Ribbon windows that fine-tunes the directivity of a space in Anhui,China, 3.The two-faced double doors that creates a sequence from the town streets to the rooms ofa house in Fez, Morocco, and 4. Lattice doors using different grids that fosters various spacesin Takayama, Japan.Every case has shown that unevenness of an environment created by opening/closing of the fittingsallows for a diverse relationship between persons, or the environment surrounding them. Unlikeflush doors and high-performance window sashes that distinctly detach in/out-doors, thesefittings provides a wide variety of relationships. In the post-corona era, the unevenness of anenvironment that the fittings create has an even more significant impact when designingresidences and work spaces.