研究報告要約
調査研究
3-129
新津保 朗子
目的
■研究の目的
四国南西部最大の都市である宇和島市は、山と海に囲まれその海山産物の販売等で栄えてきた町であり、仙台伊達藩からの分家した宇和島藩により堀が巡る城下町が整備され、古くから経済・文化共に発展し成熟した地域である。大正初期に鉄道が敷設されたことで物資輸送がより活発となり町の都市化も進んだが、第2次大戦の空襲で城下町の大部分が消失し、さらに戦後の都市計画により堀が埋め立てられ、歴史的な景観・面影の殆どが失われた。ここ数年では、希少な戦前の古民家や旅館等木造建築を保存利用に向けた活動が市民の手により始まっているが、インフラ建築物は保存利用の対象と見なされず解体処分の危機にある。本研究は、このような宇和島の町に現存する貴重な戦前の建物である、宇和島駅敷地内に建つ鉄道インフラ建造物「扇形車庫」と付属する約5700㎡の敷地の保存・活用を目的とする。既に役割を終え経済論理の上では消失の途にあるこれらは、日本全体に残る戦前から各地を支えた産業遺構として歴史的価値を見出し得るものであることもさることながら、まず市民の日常の景色として長い間町に共生し親まれてきたことを第一の理由として、建物とその景色をさらに後世に残すべく、広く市民が集えるパブリックスペースや文化施設等公共的用途への転用に向けた保存活用を試みる。
■研究の意義および独創性
宇和島駅構内には、宇和島運転区として戦前に建てられた二棟の建造物がある。列車を方向転換させ車庫へ移動させる「転車台」が昭和13年、転車台から放射状に線路が伸び、列車を収納・修理する「扇形車庫」が昭和16年に建設された。この車庫は、宇和島鉄道から国鉄へ移行し規格変更した際に残った英産の輸入レールを再利用し建設、扇形の平面と高い天井高や広い柱間隔、建物の片側が大きく開いた開放的な空間が特徴的である。また、隣接する小山の緑を流れる小川に囲まれ草木が自由に生い茂る広い敷地と、その一角に建つ「扇形車庫」の内部空間は連続する独特のランドスケープを形成し、80年近い間、地域の景観としてあった。このような場所を新築の敷地として使うのではなく、その自然環境と共に引き継ぎ、市民が気楽に徒歩で訪れ慣れ親しむ広場と新しい芸術を体験する場所として活用する方策を検討する。
この役割を終えた扇形車庫地は、持主は業務地として更地化・売却、又は公的利用の可能性を自治体を交えて検討会が重ねられたが具体的な方向性は定まらなかった。そこで検討会に参加していた応募者が代表となり、将来的に公的施設として運営することを目標に、人々をこの空間に招き入れながら持主と自治体へ呼びかけるために、美術作品を展示しこの場を開く取り組みを令和二年より始めた。現在は「扇形車庫」の解体計画をくい止め、文化施設と広場利用への合意を持主より得られ実現に向けた検討協議が始まっている。
本研究により、この経年した建物の構造的な性能を精査すると共に、安全な利用を見定め、また保存・解体の検討・決定に人々が参加することなく、そして十分な時間を割かれることなくその大部分が消失している日本のインフラ構造物遺構の、これからの再生活用の先例として取り組む。
内容
本研究では、「扇形車庫」と付属する敷地にて開設から現在までの長い時間により形成された空間と自然環境を可能な限り保存し、市民が集い文化に触れる場所としての保存・活用を目的とし、以下を実施する。
1 建造物の構造安全性評価および安全性確保の対策
「扇形車庫」は輸入古レール材を用いた鉄骨造であり、経年による腐食劣化が観察される。従って、今後の活用にあたり構造安全性の確認は必須の研究課題である。本研究では、寸法実測による構造図の作成、目視による鉄骨部材の腐食度合いの確認、微振動測定による建物剛性の評価と耐力の推定を行う。また、仕上げや既設の残存接地物等の落下や移動に対する危険性の確認も実施する。また、アート作品の試作展示について、展示方法による構造躯体への荷重負荷や、展示物の閲覧方法、動線を踏まえた(例えば建築物全体を補強するのではなく、動線付近を部分的に強固に補強する等)具体的な構造安全性確保の手法を提案する。
2 再生活用場所の共有化
蒸気機関車の運行終了後、日常的に人が働く場所としての役割を終え市民の生活の一部でなくなったために、市民との関わりが消失したことが市民の関心が薄らいでいったと考えられる。かつては多くの市民が労働していた場所であり、小学校の写生場所として長年親しまれてきた思い出深い場所でありながら民営化後は日常から分断され市民が関わることがなくなった場所を、再び市民の日常の場所として親しみを高め、文化的なパブリックスペースとして市民と共有するために以下を取り組む。
(1)美術作品を仲介として人と場所を繋ぐ
空間と人の関係性を数多く手掛ける現代美術作家を迎え、日常にない視点の体験から新しい観点に気づく作品を扇形車庫内に展示。作品鑑賞を通じて扇形車庫の個性と可能性を実感する機会を作り、かつて日常であった地域の共有スペースとしての記憶を呼び戻し、再生活用事業の理解と支援に繋ぐことを期待する。
大型の写真作品を、扇形車庫内の隣り合う柱を繋げたロープ等に吊り下げ様に展示する。展示する作品は、同市内に散見される空家や空店舗を借り、部屋や建物そのものを暗転させる大型のピンホールカメラに仕立て、そこから見える宇和島を撮影した大型のピンホール写真である。これらはいわば空洞化した眼(空家、空店舗)が捉えた宇和島の景色が、人々にとって見慣れているはずが別な様相として見えてくる。それらを、その続を改めて問われている「扇形車庫」に展示し「日常と鑑賞、価値と意味」を人々に問いかける。
(2)情報共有の場づくり
市民に再生活用の経過を公開することで市民と地域の共有事項としての認識を高める。また敷地・建物の継承プロセスである契約の敷金の寄付・協賛として参加することで、パブリックスペース創設の当事者としてその場所の保全活用へより深い関心を喚起し、契約に関する資金支援につながることを目指す。
方法
1 建造物の構造性能評価および安全性確保の対策
①構造図の作成
現地における寸法実測により、構造躯体の一般図および詳細図を作成した。柱は4本のレール材を弦材とし鋼板トラスを介し接合したトラス柱である。また,梁も同様にL形鋼と鋼板を組み立てたトラス梁となっている。構造形式は,扇形平面の放射方向は上記のトラス柱・トラス梁からなるラーメン構造だと考えられる。一方,扇形平面の円周方向は特筆すべき水平抵抗要素がなく,非常に剛性が低いことが想定される。
②微振動計測
屋根梁上の4点同時計測,および地表面の計測の2通りを行った。前者は建物の固有振動数および固有モードを、後者は地盤種別を把握する目的で実施した。
③数値解析
建物形状や部材の寸法の実測に基づき,有限要素法による3次元骨組みの固有値解析を行い,建物固有振動数から建物の剛性および地震時の変形の推定を行う。
2「扇形車庫」の空間的特徴をふまえたアート作品の試験的設営
①車庫内への大型写真作品の展示
車庫内の柱間7500㎜のスパンに横2.7m×縦2.2mの写真作品Aと、柱間8800㎜のスパンに横4m×縦2mの写真作品Bを展示した。
②既存建物を暗転してピンホールカメラにし、内部に入って体験してもらう作品
車庫内にはかつて車両整備用につくられた溶接室という小屋が残っていた。これをベニヤ板や暗幕を使って暗転し、内部に白いスクリーンを設けて、暗箱(カメラ)に仕立てた。
3 公共的性格性格の醸成
①幅広い層からの支持を得るために、ネット上での情報公開と併せ、ネットを使用しない世代へ紙媒体での情報伝達を図る。
②市民でつくるパブリックスペースとしての性格と愛着を高めるために、契約にかかる敷金を寄付・協賛により集める。
結論・考察
実施内容
調査・制作下見 2022年7月4日~20日
撮影・展示準備 2022年8月18日~9月3日
実測腐食実験調査 2022年8月
振動実験 2022年11月13日~15日
発表
展覧会 2022年9月18日~26日
発表予定
「WORLD URBAN PARKS CONGRESS MEXICO 2022」
「Health and Welbeing」カテゴリー採択事業として2022年11月発表予定
構造物の安全性評価および安全性確保対策についての結論・考察
本建物の固有種期の実測値は,X方向が約0.56 秒,Y方向が0.41秒であり,いずれの方向も一般的な同程度の高さの建物を大きく上回っており,相対的に剛性の低い建物であると言える。本建物は骨組みが扇形に配置されており,構造形式が明確に直交してはいないが,トラス柱とトラス梁からなるラーメン骨組みはおおよそY方向に沿った配置となっている,したがって,Y方向のほうがX方向よりも固有周期が若干短く,剛性が高くなっている。また,微振動測定の結果からも,やはり本建物は相対的に剛性の低い,柔らかい構造物であると言える。一方,地震荷重に対する変形は現行の一般的基準(層関変形角1/200以下)よりも小さく,建物性能としては十分な剛性を有していることが分かった。
今回の調査では鉄骨部材のサンプリングや力学試験を行うことができなかったため,骨組みや部材の強度,建物の保有水平耐力を精度よく推定することはできなかったが,一般的に建物の剛性と保有水平耐力の間には相関性が見られることから,本建物の耐震性は相対的に低い可能性がある。
今後の使用にあたっては,部材の力学試験を伴った精密な調査を行う必要があるほか,軽量な構造物であると考えられるので,耐風性能について検証が必要である。
「扇形車庫」の保全・継承・地域共有に関する結論・考察
「扇形車庫」を普段にない視点で鑑賞するアート作品の試展覧会場として公開し、「明解な用途が与えられていない曖昧な物」を引き継ぐこと、芸術作品と媒体として新たな価値を知る視点を、2020年から続けて所有者・地元自治体・市民へ問いかけ、保存再生の機運が高まることを図ってきた。特に地元市民の持つ、美術事業における会場建物の立地や真新しさ、美術作品の捉え方、事業予算の多寡等に対する既存イメージに新しいイメージが加わることを狙い企画している。
二年連続で開催したことで、地方で行う美術事業の可能性、空間自体が作品の一部となること、新しさは関係のないこと、建物のある景色をも鑑賞の対象であることを市民に示し、理解を深める機会となった。特に今回の展示作品のモチーフは宇和島市内の市井の風景であり、カメラ化した既存小屋内に入り「写真」となる瞬間を体験することで、来場者は芸術的視点と、消失間際にある宇和島の貴重な景色の可能性について深く理解された。
この建物と景色を残すために更地化予定地を借り受ける契約を予定しているが、その契約にかかる資金が不足している。この不足を解消し、且つパブリックスペースとしての性格と愛着を高めるために契約にかかる資金を広く寄付・協賛により集めることとした。この寄付・協賛募集情報を公開するまでに持主との間で再生活用に関する基本合意形成までに時間がかかったことで、実現可能な取り組みとして公開するまでにも時間がかかり、地元への説明の機会や情報拡散の時間を充分取ることができなかった。しかし、新聞等による情報公開と同時に、展覧会に来場した地元有志を中心に再生活用事業のサポートチームが自発的に形成されるに至り、保存活用と寄付・協賛支援募集情報拡散の機運が醸成された。
今後は契約の完了と共に、この場所をパブリックスペースとしての性格をさらに深めるために、途中経過の共有や地元住民と意見交換の機会設けるなどコミュニケーションを高めながら、文化施設やコミュニティスペースの運営基盤・維持管理の組織・体制構築などに取り組む必要があると考える。
英文要約
研究題目
Practice of preserving, inheriting the railway infrastructure buildings and the surrounding space which were constructed before the war and sharing them with the community
-Study on exhibition methods for utilizing buildings as art and evaluation of structural safety and planning of structural reinforcement-
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Akiko Shintsubo / Founder, General Incorporated Association Yukashita Tsuchikaze
Collaborator
Tamaki Hosobuchi / Artist, Director of BankART1929
Takuo Nagai / Lecturer, Ph. D., The University of Shiga Prefecture
Yu Kihara / Graduate student, The University of Shiga Prefecture
本文
Uwajima-City, the largest city in the southwestern part of Shikoku region, is surrounded by mountains and the sea and has prospered by its seamount products. After the establishment of Uwajima-Domain by a branch from Sendai Date-Domain, a castle town with a moat was developed, and the economy and culture have traditionally developed.
Most of the castle town was burnt by the air raids in World War II, and the moat was reclaimed by the postwar city planning, and most of the historical landscape and features were lost. In recent years, citizens have begun activities to preserve and use rare prewar wooden houses and Japanese hotels, however infrastructure buildings are not considered that they should be preserved and are subject to dismantling.
The aim of this research is to preserve and utilize a roundhouse, which is a valuable prewar railway infrastructure building built on the site of Uwajima Station, and the surrounding space of about 4,500 m2. Although these have already finished their roles and are disappearing in terms of economic logic, we try to preserve and utilize them for conversion to public spaces and cultural facilities where citizens can gather. These have historical value as an industrial heritage that supported modernization for Japan and remain the scenery that has long coexisted and became familiar with the town as a daily scenery of the citizens. In addition, we will consider methods to take over those surroundings together with the natural environment and utilize them as a plaza where citizens can easily visit on foot and experience new art.
Aiming to operate the space as a public facility in the future and to call on the owner and the local government, we have opened this space and invited people and exhibited art works. Currently, the owner has suspended the dismantling of the roundhouse. And after obtaining an agreement on the use of the place for the cultural facility and the plaza, discussions on its realization have begun.
Through this research, we investigate the structural performance of this aged building and safe use and create opportunities for people to participate in the examination and decision of preservation or demolition of the place. We also try this work as a precedent for the future regeneration and utilization of infrastructure buildings in Japan, most of which are being disappeared without taking sufficient discussion.